「自殺」という行為……
誰しも一度は考えたことがあるのかもしれない。
私もやった。
失敗した。
そのせいで、色々持っていかれた。
あまり詳しくは言いたくない。
お願いだ。察してくれ。
私は、動物たちのことを考える。「彼らは自殺をしないのか」……と。
例えば、ウサギ……
その発達した後脚が織りなすスタンピングは、俊敏な動作性をモノにする。
しかし、彼らは弱い。
地上では、毒蛇、イタチ、山犬、山猫、狐……
そして空からは、鷹や鳶などの猛禽類に、フクロウ……
われわれ人間の一種である「猟師」に狙われることもある。
それも、四六時中、いつ殺されるか分からない。
ただでさえ1~2年の寿命だが、その時間は、100年にも200年にも感じられるかもしれない。
そして、食物連鎖などという絶対的な摂理によって、彼らは弱いまま生きるしかない。
徒党を組んだところで「ガンバの大冒険」のようにはいかないのが現実である。
私は考えた。
どうして、ウサギはその運命を悲観して、自ら生涯を捨てようとは思わないのだろうと……
ウサギは脳みそが小さいから、そもそもそんなことを考える頭がない……?
……確かにそうだろう……
彼らだって「生き馬の目を抜く」を地で行く野生世界の住人である。
完全縦社会で、共食いならぬ共殺しが許される無法地帯に生まれ落ちたことをを悲観し、電車のホームから飛び降りて粉々になるように、断崖絶壁から身を投げることはないのだろうか……
病気になったり、障害を持ったことで、自ら群れを離れる個体もいるというのは、別の話。
無いと断定はしかねる。
しかし、恐らく人間の自殺者ほど多くはないはずだ。
私は「笑い」という感情表現と同じように「自殺願望」というモノも、人間独自のものではないか……という説を立ててみた。
反例は無くはない。
「2014年、ウクライナがかつて軍用に訓練していたイルカが、ロシアの手に渡った際に愛国精神からハンガーストライキを起こして餓死した」というニュースがある
(https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/05/post-10239.php)
イルカも知能の高い動物だ。
だが、このケースにおいて、彼らはもはや「野生」ではない。
イルカであって、イルカでないのである。
人間であって、人間である我々は、何故自殺が可能なのか……
この問いは、長らく私の頭に憑りついてきた。
そして、ある年、ある日、ある時、ある一瞬において、私はある例を発見する。
証拠はないが「信じようと信じまいと……」フォークロアticなスタンスで述べる。
その日、小鳥を見た。
ただの小鳥ではない。
小鳥に違いないが、その小鳥は、根本的に違った。
先天性のものだったのか……
外敵に千切られたのか……
「鳥」のくせして、翼が欠如していたのである。
その「小鳥もどき」は……地面を走って、必死にエサの小虫をついばんでいた。
金子みすゞ先生の詩に抗っているではないか……と感じたのだが……
「飛べる小鳥は私のやうに、地面を速くは走れない。」
金子先生も、同じような「小鳥もどき」を目にしたのであろうか……
しっかりと「飛べる」という形容詞が述べられていた。
「飛べない小鳥は地を走る……」
私は叫び、問いたかった。
「何故だ!?なぜそこまでして生きようとする!?翼のない小鳥なんて、考えることが出来ない人間のようなものではないか!?何故だ!?」
当然、小鳥は答えない。
必死で地を走り、餌を探すだけ。
私はそこで、仮説を立てた。
自然的、宿命とまで言われる「死」の世界とは違う……
「自殺」という先にある何かを、彼らは本能的に恐れているのではないか……
翼が無くても生きる鳥……そのライフスタイルの根幹には……四六時中、自分より強い何かにかみ砕かれ飲み込まれ血肉となる恐怖をはるかに上回る、恐ろしい何かがあるのではないか……
自殺をしてはいけない理由は分からない。
だが、数多の生物達が自殺を避ける理由……
正解に近い何かがそこにある。
今、生きにくさを感じ……自らピリオドを打たんとする……あなた。
私に、見えない回線の先にいるあなたを救うことは出来ないが……
自殺をする前に、踏みとどまってくれ。
飛べない鳥の生き様を想像してくれ。
生き方はいくらでもある。
しかし……自殺という選択を置かないでくれ。
「見ず知らずのてめえが何言ってんだ!?俺の苦しみも分からねえくせに……想像で理想像を語るんじゃねえ!」と怒るかもしれない……
いや、怒るだろう……
だが、私も人間だ……あなたと同じく人間なんだ。
しかし、私は「人間もどき」……
相談があったら、連絡を入れても構わない。
あなたの自殺願望を抑制できないかもしれないが、どうせ死ぬなら、私に相談してからでも遅くはないだろう。私が生きるためにも、あなたの生きる道を、道標を提供させてくれ。