誰しも「ある人を殺したい……」と考えたことがあるのではないだろうか?
「殺したい」……その感情は、いつしか「殺さねばならない」に変貌し、その感情は、行動に成る。
ほとんどの人の場合、実行せずに終わる。
だが、中には、突発的な怒りで事を起こしてしまったり、積もり積もった怨恨を消化できずに、殺ってしまったりする。
・「誰か特定の人を、こんな理由で殺したい」
・「誰でもいいから、こんな理由でこんな風に殺したい」
大きく分けて、殺人者には上記の2種類がいると自論を構えている。
私は、上の感情を抱いたことがある。
・「こいつ、冗談とはいえ、私の生命を罵倒しやがった。恨むぞ……許さん。殺してやる……」
流石に「誰でもいいから殺したい」の感情を抱いたことはない。そんな人がいたら、即精神科行きである。
当然だが、実行に移したことはない。
だが、その一歩手前だったことは間違いない。
済んでのところで、異変に気付いた友人の機転により、カウンセラーを紹介され、またそのカウンセラーが当たりだったため、私は事なきを得た。
そんな境地を経たから、いえること……
「殺人」=「自殺」の公式である。
人を殺せば、その人に頭を悩める必要はなくなる。
だが、自分、そしてその家族は殺人者のレッテルを張られ、残りの生涯がガラリと暗いものになってしまう。
仮に完全犯罪を成し遂げても、罪の呵責は残る。
何故なら、憤怒を抱き、精神が平静を保てていない状況では、視野が狭くなってしまうからである。
即ち、殺人願望が高まってくると、殺すことは考えられても、殺した後のことが考えられなくなってしまうのである。
「人を呪わば穴二つ」
殺人の結果は、自分の死に近しい結果になるのである。
人は人と関わって生きている。
百獣の王ライオンが、水の中では生きられないように……当然、相性というものは存在する。
関わってはいけない人が存在する。
「神様は人に乗り越えられない試練を与えない」という言葉はあるが、
神様は普通に、乗り越える必要のない試練を与えてくる。
「回り道したっていいじゃないか、人間だもの みつを」
一度深呼吸して、視点を時空間的に大きくし、落ち着いて、人生を明るいものにする算段を、考えてみたらよいと思う。
時には逃げなければならない場合もある。
これはあくまで私の持論。
万人、万物のケースには当てはまらない。
相談があれば受け付けるので、是非、コメントに書いて欲しい。
あなたの人生が美しく明るいものであらんことを……