RETRO少年の懐古録

ミステリー、ホラー、サイエンス、サスペンス、SF、怖い話……

【2ch怖い話名作選】山祭り (感想付き)

f:id:RETRO777:20210714140535j:plain

久しぶりに休みが取れた。たった二日だけど、携帯で探される事もたぶんないだろう。

ボーナスも出た事だし、母に何か旨いものでも食わせてやろう。

 

そう思って、京都・貴船の旅館へ電話を掛けてみた。

 

川床(かわどこ)のシーズン中だが、平日だったから宿が取れた。

 

母に連絡を取ると大喜びで、鞍馬も歩いてみたいと言う。俺に異存はなかった。

 

京阪出町柳から叡山電鉄鞍馬駅まで約三十分。

 

その間に景色は、碁盤の目のような街中から里山を過ぎ、一気に山の中へと変化する。

 

また、鞍馬から山越えで貴船へ抜けるコースは、履き慣れた靴があれば、ファミリーでも二時間前後で歩く事が出来るし、日帰りなら逆に、貴船から鞍馬へ抜け、鞍馬温泉を使って帰る手もある。

 

その日もさわやかな好天だった。

荷物を持って歩くのも面倒なので、宿に頼んで預かってもらい、それから鞍馬山へ行った。

 

堂々たる山門を潜った瞬間、いきなり強い風が吹き、俺を目指して枯葉がザバザバ降って来る。

 

落葉の季節ではないのだが、母とくれば必ずこういう目に遭う。

 

天狗の散華(さんげ)だ、と母は言う。

 

迷惑な事だ。

 

途中からロープウェイもあるが、母は歩く方を好むので、ところどころ急な坂のある参道を歩いて本殿を目指す。

 

由岐神社を過ぎると、先々の大木の中程の高さの枝が、微妙にたわむ。毎度の事だが。

 

鞍馬寺金堂でお参りした後、奥の院へ向かって木の根道を歩く。

 

魔王殿の前で、一人の小柄で上品な感じの老人が、良い声で謡っていた。

 

“……花咲かば、告げんと言ひし山里の、使ひは来たり馬に鞍。鞍馬の山のうず桜……”

 

言霊が周囲の木立に広がって行くようで、思わず足を止め聞き惚れた。

 

最後の一声が余韻を残して空に消えた時、同じように立ち止まっていた人たちの間から、溜め息と拍手が湧き起こる。

 

老人はにっこり笑って、大杉権現の方へ立ち去った。

鞍馬山を下り、貴船川に沿って歩く。真夏の昼日中だと言うのに、空気がひんやりして気持ちがいい。

 

流れの上には幾つもの川床。週末は人で溢れているのだろうが、今日はそうでもない。

 

少し離れると、清冽な流れの中、カワガラスが小魚を追って水を潜り、アオサギがじっと獲物を待つ。

 

もう備えの出来たススキが揺れる上を、トンボたちが飛び回る。

 

貴船神社へお参りに行く人は多いが、奥宮へ参る人は少ない。

 

その静けさを楽しみながら、奥宮の船形石の横の小さな社に手を合わせる。

 

弟たちも連れて来てやれればよかったが、何分にも平日の急な事。

 

学生時分ならともかく、社会人がそうそう手前勝手な事をする訳にはいかない。

 

母とそんな話をしながら振り返ると、さっき魔王殿の前で謡っていた老人が、こっちへ歩いて来るところだった。

 

軽く会釈すると、向こうもにこっと笑って片手を挙げる。

「先程は、良いものを聞かせて頂いて、ありがとうございました」

 

「いやいや、お恥ずかしい」

 

老人は首を横に振り、俺と母を見やりながら、

 

「親子旅ですか、よろしいなぁ。ええ日にここへ来はった。今日は“山祭り”や」

 

「まあ、お祭りがあるんですか」

 

祭りと聞いて、母の気持ちが弾むのがわかる。

 

老人が教えてくれる。

 

「今晩、川床の灯りが消えた時分から、この先の方でありますねん。

 

“山祭り”は時が合わなんだら成りませんし、ほんまの夜祭りやから、知らん人の方が多いんや。

 

もし、行かはるんやったら、浴衣着て行きはった方がよろし。その方が、踊りの中へも入りやすいよって」

 

母は既に行きたくてワクワクしている。

 

一時、『盆踊り命』だった人だから。

 

ま、いいか。

 

俺は盆踊りは嫌いだが、仕方ない。付き合うか。

川筋の道沿いに、黄桃のような丸い灯りが、ぽつりぽつりと点いている。

 

俺たちの他に歩いている人はほとんどない。

 

奥宮へ近づくにつれ、笛の音がどこからともなく風に乗って流れて来た。

 

山祭りはどうやら、思っていた盆踊りのようなものとは全然違うものらしい。

 

貴船橋の袂をくっと左へ折れ、山の中へ入る細い道をたどると、笛の音はますますはっきり聞こえる。

 

曲目はわからないが、ゆったりとしたメロディを、複数本の笛で吹いているようだ。

 

やがて、木立の間からたくさんの白い提灯と、その灯りが見えて来た。

 

そこは体育館程度の広さの空き地になっていて、笛の音に合わせて数十人の人たちが踊っていた。

 

衣装は、白地に紺色の流水模様の浴衣。女は紅の帯、男は黒字に金の鱗模様の帯。

 

踊るというより、舞うと言った方がいいような優美な動きで、普通の踊りの時のような賑わしさや、テンポあるいはノリは全く感じられない。

 

俺たちより先に来てこれを眺めていた隣の人がいきなり駆け出し、踊りの輪の中へ入って中の人と手を取り合った。

 

知り合いがいたらしい。

 

前の方からあの老人が、笑みを浮かべながら静かに俺たち親子に近づいて来た。

「ああ、来はりましたんやな」

 

「こんばんは。不思議なお祭りですね」

 

老人は不思議な言葉を口にした。

 

「あの中に、逢いたい人がいたはりますやろ」

 

逢いたい人?訳がわからずぽかんとする俺。

 

母が突然駆け出した。

 

「母さん!?」

 

伸ばした手の先によく知ってる人がいた。

 

実家にいる頃いつも見ていた人。写真立ての中で笑っている、俺と面差しのよく似た青年。

 

俺が二歳の時亡くなった父だ。

 

まっしぐらに父に向かって進む母を、踊り手たちは空気のようにするりとかわし、何事もなかったかのように踊り続ける。

 

一足ごとに母の時間が逆戻りする。

わずか三年余りの妻としての日々と、その何倍もの母としての時間。

 

今、父の手を取りながら、母は堰を切ったようにしゃべり続け、父は黙って微笑みながら、時折相槌を打っている。

 

二人の間に涙はない。

 

何を話しているか俺には聞こえないが、きっと言葉で時間を溶かしているのだろう。

 

時を越え、両親は恋人同士に戻っている。

 

初めて見る両親の姿。ああ、父はあんな風に笑う人だったのか。

 

母はあんな風にはにかむ人だったのか。

 

これだけの歳月を隔てまだ惹かれ合う二人に、思わず胸が熱くなる。

 

父に誘われ、母が踊りに加わる。

 

なかなか上手い。本当に楽しそうに踊っている。

 

俺の頭の中で太棹が鳴り、太夫の声が響く。

 

“……おのが妻恋、やさしやすしや。

あちへ飛びつれ、こちへ飛びつれ、あちやこち風、ひたひたひた。

羽と羽とを合わせの袖の、染めた模様を花かとて……”

 

両親の番舞をぼーっと眺めていたら、ふと俺の事を思い出したらしい母が、父の手を引いてこっちへやって来た。

 

ほぼ初対面の人に等しい父親に、どう挨拶すべきか。

 

戸惑って言葉の出ない俺を、おっとりとした弟と雰囲気の良く似た父は、物も言わずに抱きしめた。

俺よりずいぶんほっそりしているけれど、強く、温かい身体。

 

父親って、こんなにしっかりした存在感があるのか。

 

「大きくなった……」

 

万感の思いのこもった父の言葉。

 

気持ちが胸で詰まって言葉にならない。

 

ようやく絞り出せた言葉は、

 

「父さん……」

 

「うん」

 

優しい返事が返って来た。

 

もう限界だった。俺は子供のように声を放って泣いた。

 

母の事を笑えない。気が付けば俺は夢中で父に、友人の事、仕事の事を一生懸命話していた。

 

今までは、そんな事は自分の事だから、他人に話してもわかるまいと思い込み、学校での出来事さえ、必要な事以外は母に話さなかったのに。

 

父の静かな返事や一言が嬉しかった。

 

子供が親に日々の出来事を全部話したがる気持ちが、初めてわかったような気がする。

 

俺の話が一段付いた時、父は少し寂しそうな顔をした。

 

「ごめん。もっと一緒にいたいけど、そろそろ時間みたいなんだ」

 

時は歩みを止めてくれなかった。

でも、嫌だと駄々をこねたところで詮無い事。大事な人に心配をかけるだけ。

 

ああ、わかっている。笑って見送ろう。

 

「口惜しいよ、おまえたちの力になってやれなくて……」

 

「大丈夫、任せろよ。俺がいる」

 

長男だもの。俺は親指を立て、父に向かって偉そうに大見得を切った。

 

安心したように頷く父に、母がとても優しい眼差しを向け、父が最上級の笑顔を返す。

 

「……じゃあ、そろそろ行くよ」

 

父は踊りの輪の方を向いた。

 

「父さん」

 

呼びかけずにはいられなかった。

 

父が振り返る。

 

「俺、二人の子供で良かった」

 

本当にそう思った。

 

父は嬉しそうに笑い、そのまま煙のようにすうっと姿を消した。

 

母はしばらく無言で父が姿を消した辺りを見つめていたが、やがて諦めたように首を振り、「帰りましょう」と俺を促した。

 

翌朝、まだ眠っている母を部屋に置いて、奥貴船橋の袂まで行って見た。

 

昨夜の、橋の袂をくっと左へ折れ山の中へ入る細い道は、やっぱりなかった。

 

あの老人が言っていた“山祭り”は、時が合わねば成らないのだと。

 

それは、俺たち親子が見た幻だったかもしれない。

 

でも、逢いたい人に会え、伝えたい事を伝えられた。

 

幸せな旅だった。

 

○感想

心温まる感動的な話でした。

何故怖い話分類なのかよく分かりませんが、非現実的、あるいは幻想的だという点では、確かに近いところにあるお話かもしれないですね。