RETRO少年の懐古録

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【未解決事件】三億円事件

三億円事件

 

〇概要(Wikipediaより引用)

当時の現金輸送車にはセダン型の自動車が使われていた(写真は現金輸送車と同型の日産・セドリック)。

現金輸送車に積まれた東京芝浦電気(現・東芝)府中工場の従業員4523人に支給されるボーナス2億9,430万7,500円が白バイ隊員に扮した男に奪われた事件である。「三億円強奪事件」とも言われているが、日本の刑法に於いては本件犯行は強盗罪には該当せず、窃盗罪となる。

盗まれた約3億円には保険が掛けられていたことから、日本の保険会社が給付した補償金によって全額が賄われ、事件の翌日には全ての従業員にボーナスが全額支給された。その保険会社もまた再保険をかけており、日本以外の保険会社によるシンジケートに出再していたことから給付した金額分が補填された[注釈 1]ために、直接的に日本国内で金銭的損失を被った者がいなかった。犯人が暴力に訴えず計略だけで多額の現金強奪に成功し、保険による補償で金銭的に実害を被った者がいなかったことから、被害金額2億9430万7500円の語呂で現金強奪犯は「憎しみのない強盗」とも言われる。一方で、マスコミの報道被害を受けて後年自殺した人物や、捜査の過労で殉職した警察官が2名いるなど、事件の影響を受けて数奇な運命に翻弄されたり、不運に見舞われたりする人たちも一部でみられた。

警視庁の捜査において重要参考人リストに載った人数は実に11万人にも達し、捜査に投入された警察官は延べ17万1,346人、捜査費用は7年間で9億7,200万円以上が投じられるなど、空前の大捜査となったが、最終的に犯人検挙には至らず、1975年(昭和50年)12月10日、公訴時効が成立(時効期間7年)した。1988年(昭和63年)12月10日に民事の時効も成立した(時効期間20年)。本事件は、日本犯罪史に名を残す未解決事件となった。

この事件以来、日本では多額の現金輸送に対する危険性が認識されるようになった。この事件をきっかけとして従業員の給与や賞与等の支給を金融機関の口座振込にすることが一般化し、専門の訓練を積んだ警備会社の警備員による現金輸送警備が常態化した。

盗まれた紙幣のうち、記番号が判明した五百円紙幣2000枚分(XF227001A〜229000A)が警察から公表された。うち「XF227278A」のみ見つかっているが、数字の一つが傾いていたことから偽札であるとみなされている[要出典]。

 

〇経緯

1968年(昭和43年)12月6日、日本信託銀行(後の三菱UFJ信託銀行国分寺支店長宛に速達で郵便物が届いた。内容は「翌7日午後5時までに指定の場所に300万円を女性行員に持ってこさせないと、支店長宅を爆破する」というもので現金を要求する脅迫状であった。翌7日、銀行員に扮した女性警察官を脅迫状の指示通りに行動させ、警察官約50名が現金受け渡し場所の周辺に張り込んだが、犯人は現れなかった。

脅迫事件があった4日後の12月10日午前9時15分、日本信託銀行国分寺支店(現存せず)から東京芝浦電気(現・東芝)府中工場へ、工場従業員に支給するボーナス2億9430万7500円の現金が入ったジュラルミン製トランクケース3個を輸送する現金輸送車(日産セドリック1900カスタム)が銀行を出発した。輸送車は国鉄中央線のガード下を通り、国分寺街道を南下したのちに「明星学苑前」交差点を右折し、府中刑務所裏の府中市栄町、通称「学園通り」と呼ばれる通りに差し掛かった。

「学園通り」を半分くらい走行したところで、突然後方から警察の白バイが猛スピードで現れ、走行中の現金輸送車を反対車線から追い抜き、警察官が左手を挙げながら輸送車の前を塞いで停車させた。その白バイは、なぜかバイクの後方に軽自動車用のシートカバーを引っかけたまま、それを引きずって走っていた。

現金輸送車の運転手は、白バイに捕捉されたことから「スピード違反でもしたのか?」と思い、スピードメーターを確認したが、時速30キロの制限速度を守って走行しており、なぜ止められたのかと疑問に思った。白バイから降りた警察官が小走りで車に近寄ってきたので、運転手は窓を少し開け「どうしたのか」と聞いた。すると警察官は「小金井署の者ですが、巣鴨警察署からの緊急連絡で、貴方の銀行の巣鴨支店長宅が爆破されました。この輸送車にもダイナマイトが仕掛けられているという連絡があったので、車の中を調べて下さい」と言った。運転手が「昨日点検したが、そのようなものは無かった」と答え、後部座席に乗車していた行員二人も車内を確認したが、それらしき物は見つからなかった。白バイ警察官が「車の下に有るかもしれない」と言ったことから銀行員たちは念のため車の外に出ることになった。このとき運転手は輸送車のエンジンは切ったが、キーは差したまま車を降りた。そのキーには車のトランクやジュラルミンケースのキーも一緒に束ねて付けてあった。白バイ警察官は、車の前方へ回り、ボンネットを開けてエンジン周りを点検したあと、現金輸送車の下周りを捜索し始めた。

4日前に支店長宅を爆破する旨の脅迫状が送り付けられていた事もあり、銀行では不審物に警戒するように通達を出していた。その事により、ダイナマイト捜索という緊迫感がある雰囲気に銀行員たちは呑まれていた。白バイ警察官は、輸送車の車体下に潜り込んで捜索していた。すると輸送車の下から突然、白煙と赤い炎が吹き出し始めた。白バイ警察官は「有ったぞ!ダイナマイトだ!爆発するぞ! 早く逃げろ!」と叫び、4人の銀行員を車から退避させた。銀行員たちは、爆発の危険から身を守ろうと現金輸送車から東へ100メートルほど遠ざかり、民家の物陰や垣根に身を伏せた。行員の一人は、後続車に爆発の危険を知らせようと道路上に立ちふさがり、トラックを停車させていた。陸上自衛隊車両を運転していた自衛官は、反対車線の車の下から煙と火が吹き出しているのを発見したため、消火器を持って駆けつけようとした。その直後に白バイ隊員は、現金輸送車の運転席に乗り込みエンジンを始動、自ら輸送車を運転して府中街道方面へ急発進させた。その後に現金輸送車は、府中街道「刑務所角」交差点を赤信号無視で右折し、大型ダンプカーと衝突しそうになりながらも恋ヶ窪方面へ走り去った。この間、わずか3分間の出来事だった。

この時、銀行員たちは白バイ警察官がダイナマイトによる爆発の危険を回避させようと現金輸送車を移動させたと考え「勇敢な白バイ警察官だ」と思ったという。しかし、現金輸送車は白バイ警察官諸とも現場から消え失せ、行方が判らなくなった。路上に落ちていた「ダイナマイト」は依然として煙と炎を吹いていたが、いくら待っても爆発はおろか、それ以上は何も起きなかった。銀行員たちは、恐る恐る「ダイナマイト」に近づいて確認したところ、それは単なる発炎筒が煙と炎を出しているだけのものだと判った。路上には、発煙筒とシートを引っ掛けたままの「白バイ」だけが残されていた。発煙筒が自然鎮火した後、オートバイに詳しい輸送車の運転手が乗り捨てられた「白バイ」が偽物だと気付いたことから「勇敢な白バイ警察官」は、実は白バイ警察官に扮したニセ者であり、約3億円の現金が窃盗犯によって持ち去られたことを銀行員たちはようやく認識した。

白バイ警察官に扮した犯人によって約3億円の現金が持ち去られてから既に10分が経過していた。銀行員たちは、現場の側に建っていた府中刑務所の監視塔刑務官に向かって大声で「車が盗まれた!通報してくれ!」と頼み、更に現金盗難現場から程近いガソリンスタンドに駆け込み、電話を借りて銀行へ事の顛末を報告した。報告を受けた銀行では支店長代理によって110番通報が為された。だが当初は、現金輸送車に対する検問を実施した警察官が実際にいるのかどうかという問い合わせが通報の内容だったことから、初動対応に遅れを生じさせる一因となった。検問を実施した警察官は存在しないと確認した警視庁は、9時50分に伊豆・小笠原諸島を除く東京都全域に緊急配備を敷いた。奇しくも、この日は毎年恒例の歳末特別警戒の初日であった。警視庁は要所で検問を実施したが、当初は自動車の乗換えを想定していなかった事もあり、現金輸送車と同型車種(黒色の64年型・日産セドリック1900カスタム)を発見することに重点が置かれていた。その後に自動車の乗換えが発覚してからは、都内の主要な道路において全車両に対する詳細な検問を実施した。その結果、激しい交通渋滞を招いて多くの車両を検問することはできなかった。検問による渋滞がより一層激しくなってきたことから、警視庁は夕方までに検問を取り止めた。夜になってからも捜索は続けられたが、犯人と現金は発見できず、事件当日中に犯人を逮捕することができなかった。

 

〇多摩農協脅迫事件

三億円事件発生の半年ほど前、1968年4月25日から同年8月22日にかけて、多摩農業協同組合(多摩農協)に対して現金恐喝や放火爆破予告をする脅迫事件が計9回発生した。手口は脅迫状送付、脅迫電話、壁新聞投げ込みによるものだった。

この事件は、脅迫日が東芝の給料日だったこと、脅迫状の筆跡が1968年12月6日に日本信託銀行国分寺支店へ送付された脅迫状の筆跡と同一とされたことから3億円事件と関連があると分析された。3億円事件を捜査する警視庁府中署・特別捜査本部は「3つの事件」を同一犯による犯行であると結論付けた。

6月25日に多摩農協を脅迫する文章の中では「よこすかせんはひきょうもん」という文言が入った脅迫状を送っている。「よこすかせん」とは脅迫状を送る9日前の6月16日に国鉄横須賀線大船駅で発生した横須賀線電車爆破事件について触れたと言われている。なお、脅迫状作成当時は横須賀線電車爆破事件の犯人は不明だったが、三億円事件発生1ヶ月前の11月9日に純多摩良樹をペンネームとする犯人が逮捕され、1975年12月5日に死刑執行された。